はじめまして
遅まきながら自分の人生と向き合うことにしました。
それには虐待された事実と向き合わねばなりません。
それを整理しようとブログを始めました。
淡々と事実だけを書き連ねる・・・・・・
それは簡単なようで辛い作業だとすぐに気付きました。
自分の中で全部を整理しないといけないような、それをしたら
二重に傷つきそうな・・・・・・
ふと、こんな状態で親の介護なんてことになったらどうしよう?
そんな思いが涌き上がりました。
大丈夫。
昔から母親は言っていました。
「あんたは他人にやる身、弟は貰う身。」
だから差別があって当たり前だと。
わたしは他人にやられたわけですから介護なんて有り得ないはず。
でも、もしもそうなったら?
世の中、高齢者の虐待が話題です。
介護職員により高齢者の虐待は如何なものかと思いますが
子供による虐待はどうなんでしょう?
もしかするとそれはただ「親にやられたことをやり返している」だけなんじゃないのだろうか?
常々思っていたことです。
そうそう。まだわたしが小学校高学年、弟が低学年の時の旅先で
なぜだか「お母さんが歳を取ったら」という話になり
わたしは母親に愛されたい一心で
「南向きのすてきなお部屋に住まわせてあげる!メイドさんもつけてあげるし
幸せにしてあげる!」と言ったのです。
母はそんな言葉は適当にスルーし弟に「ボクちゃんは?」と尋ねました。
まだ幼稚園くらいだった弟は「北向きの寒くて暗くて汚い4畳半の部屋に入れて食事は一日梅干し一個だけ」とぼそっと言いました。
わたしは「なんてことを言うんだろう!?」という驚きと
「すごい語彙力!」という驚きでびっくりしましたが
母親の「嬉しいわ〜ボクちゃんはママに4畳半もくれるの〜?」と猫なで声で意味不明のことを言ったのにもっと驚きました。
成人した後、彼の母親への考えがわかる発言。
「あいつが出て来るとまとまる話もまとまらなくなる。あいつがしゃしゃりでると巧く行くこともダメになる。俺は結婚したらあいつとは関わらない。結婚式にも出さないし相手とも会わさない。一切交流しない。」
この言葉を聞いた時、なぜかあの旅先での発言が浮かびました。
ああ、本気だったんだと。
ただ、バカなわたしはこの発言をしっかり意識しなかったのです。
だから母親と関わり続けてしまいました。
お陰で家庭は崩壊です。
バカ親は子供を不幸にします。
幸せになるにはその呪縛を断ち切るしかないのです。
呪縛というか洗脳というか・・・それを認識し断ち切る決意をするのに
わたしは親と暮らしたのと同じ年月を要してしまいました。
人生の半分以上を無駄にしたのです。
いまから幸せになるために、別のブログで虐待を整理しつつ
介護はしないよ、したらこうなるよ、というフィクションの妄想日記を
こちらで書くことにしました。
「親を虐待する」ということに関しては100%フィクションですが
「自分が親にされた」という点ではノンフィクションです。
子供を虐待している人は、将来子供に虐待されても当然です。
それが嫌なら心を入れ替えて子供に詫び、愛すしかないのです。
わたしの親は手遅れですけど・・・・・